効率は大人になってから

たまにはコンピュータとあまり関係ない話も書いてみます。

「好きなことをだけ突き詰めて、とんがって生きていけ」という論調が好きではないという話です。

師匠の言葉

もう20年以上前の話で恐縮ですが、映画を学んでいた大学生の時、指導教員がこんなことをおっしゃっていました。

映画監督はすべてを知らなければならない。だから大変だ。

数学の物語を作りたければ数学を知らなければいけない。
料理の話を作りたいなら料理を。スポーツの話ならスポーツを。

作る映画によって知らなければいけないものが違う。
だからその都度、必要なものは全部知る必要がある。

作りたいものだけを作れるわけでもない。
映画を生業として生きていきたいなら、求められるものを作らなければいけない。

科学者の話を求められたら科学を知らなければいけない。
歴史の映画なら歴史を。宗教なら宗教を。

いまだに思い出しては、なんて身も蓋もない言葉なんだろうと思います。

しかし当時の若かった私は、この途方もない言葉から、映画というものに底知れぬ可能性を感じたものでした。

そのおかげか、映画監督になる夢が破れた今も、映画は大好きです。

効率よく合理化社会に適応していく?

昨今の合理化が行き過ぎた社会に生きづらさを感じる声を、様々なメディアを通して見聞きするようになりました。

効率重視の社会の中でありのままの自分で生きていくため、好きなことに集中して、不要なことはやらなくていい、というような指導も散見されます。

しかしそれは、私のお師匠様の指導「すべて知れ」とは真逆に感じられるのです。だから好きではない。三つ子の魂百まで。

効率なんて考えず、好きも嫌いも全部学んじゃってほしい

いつ役に立つのか分かりませんし、死ぬまで役に立たない知識かもしれませんが、捨てようとしているその学びのチャンスは、社会人になってからたやすく取り戻せるものでしょうか。社会に出たら、もっともっと効率を求められるのに!

効率よく学ぶというのは変な話だと思ってしまうのです。

好きなことはどんどん突き詰めればいいでしょう。それはもちろんです。

嫌いなことは、なぜ嫌いなのか考えてみたら、たいていの場合は、点数をとれないから、上手にできないから、恥をかくからという理由が多いと思います。「苦手だ」「上手にできない」と白状してしまいましょう。

白状してるのにバカにしてくる奴がいたら、そんな奴は友だちじゃない。ほっといて大丈夫です。

こっそりでもいいので取り組んでください。うまくならなくても、その取り組みから得られるものもあるのです。それを捨てるなんてもったいない!

苦手なものは苦手なものなりに、知ってやりましょう。

カエルが気持ち悪いから苦手?
動かない図鑑の中で探して、なんでこんなに気持ち悪いんだろうと調べてやりましょう。
嫌いなままでかまわないので、詳しく知ってやりましょう。

可能性を感じてほしい

効率のことを考えて、可能性の芽を摘んでしまっていませんか。

ひとりひとりの子どもたちが、未来に無限の可能性を感じられるように、ハッピーコンピューティングでは、無駄なことは何もない、知れるものなら何でも知っておけ、というような気持ちを大切にしながら、子どもたちを指導してまいります。

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